日紡貝塚の選手たちをベースに編成された代表チームを率い、1964年東京五輪で金メダルに輝いた大松博文の手法は、まさに苛烈を極めた。回転レシーブに代表される泥臭いディフェンス戦術と、徹底した反復練習。大松が植え付けた「拾って繋ぐ」美学は、今なお日本バレーのアイデンティティの根幹をなす。
当時、熱狂的な視聴率を叩き出した試合中継は、TBSテレビをはじめとするメディアを通じて国民的行事へと昇華した。続く山田重雄は「スパイク賞」「サーブ賞」といった個別タイトルの独占を狙う緻密なデータ分析と独自のコンビネーションを導入。白井貴子や前田悦智子らを擁し、1976年モントリオール五輪で1セットも落とさずに金メダルを奪取する快挙を成し遂げた。