当時、現場の至近距離にいた同期生たちの受けた精神的ショックは計り知れません。香月弘美さんは1954年に宝塚音楽学校に入学した41期生であり、将来を嘱望された可憐な娘役スターでした。
同じ舞台に立っていた同期の松島三那子さんをはじめとする組子たちは、突然の暗転と異音、そして目の前で起きた衝撃的な現実に対して激しいトラウマを抱えることとなりました。松島さんは後年の回顧において、「何が起きたのか理解できなかった。ただただ手を合わせて祈るしかなかった」と当時の凄惨な空気感を述懐しています。
劇団は事故後、大劇場敷地内の関係者通路奥に慰霊碑(記念プレート)を建立。現在に至るまで、新しく入団した生徒やスタッフは、初舞台を踏む前にこの慰霊碑に手を合わせ、舞台安全への誓いを新たにする儀式が受け継がれています。香月さんの経歴と短い生涯は、劇団員にとって「安全こそがすべての芸の土台である」という不文律として心に刻まれています。