総攻撃予定日の前日、3月13日と14日、江戸・田町の薩摩藩邸で相まみえたのが陸軍総裁・勝海舟と参謀・西郷隆盛だった。この二者会談こそが無血開城を決定づけた歴史的ハイライトとして語られるが、そのテーブルの下では凄まじい駆け引きが展開されていた。
勝海舟はただ情に訴えたわけではない。万が一総攻撃となった場合、江戸市中に火を放って新政府軍を包囲・殲滅する焦土作戦と、徳川慶喜を洋上へ避難させる脱出計画を極秘裏に準備していた。勝は江戸城と市民を人質に取る覚悟を暗に匂わせつつ、内戦が長引けば欧米列強による植民地化の引き金を引くという冷徹な国際感覚を西郷に突きつけたのだ。
西郷もまた、英国公使ハリー・パークスからの「無抵抗の徳川慶喜を武力で討つことは国際信義に反する」という強い警告を重く受け止めていた。勝海舟の覚悟と国際世論のリスクを天秤にかけた西郷隆盛は、独断に近い形で総攻撃の中止を決断した。教科書のわずか数行に要約される合意の裏には、互いの国家観をぶつけ合った命がけのリアリズムが存在した。