長渕剛の事件を語る上で欠かすことができないのが、1987年に結婚した元アクション映画のトップ女優・志穂美悦子の存在です。夫の逮捕直後、連日自宅前に押し寄せる100人を超える報道陣に対し、彼女が見せた凛とした立ち振る舞いは、当時の芸能界に強烈な印象を残しました。
当時の関係者取材によると、志穂美悦子は警察の取り調べに動揺する長渕に対し、厳しい言葉で現実を直視させつつ、検察側に対しては「妻として責任を持って夫の生活態度を根本から見直させる」という嘆願書を提出。芸能界特有の甘えを断ち切り、家族という最小単位のセーフティネットを機能させたことが、検察官の心証に極めて大きな影響を与えたとされています。
釈放後、長渕は表舞台から姿を消し、鹿児島などでの療養と自己鍛錬に没頭しました。肉体を極限まで追い込むトレーニングを開始したのもこの空白期であり、自著や当時の独占手記では「あの留置場の冷たいコンクリートの上で、俺は死んだ。もう一度歌を唄う資格が自分にあるのか、血を吐く思いで問い詰めた」と述懐しています。
そして事件から約10カ月後の1995年11月16日、東京ドームで開催された単独ライブ『LIVE'95 いつかの少年』で電撃復帰を果たします。アコースティックギター1本を抱えてステージ中央に現れた長渕は、5万人を超える観客の怒号のような歓声のなか、涙を流しながら深々と頭を下げました。この一夜は、不祥事を起こしたロックスターが「剥き出しの人間性」を武器にファンと再び絆を結び直した、日本音楽史に残る復活劇として語り継がれています。