宮崎英高氏のバックボーンを語る上で欠かせないのが、ゲーム業界への参入プロセスの特異さです。静岡県静岡市で生まれ育った宮崎氏は、慶應義塾大学環境情報学部(SFC)を卒業後、外資系大手ITベンダーである日本オラクルへ就職。同社ではアカウントマネージャーとして手腕を振るい、順風満帆なビジネスキャリアを歩んでいました。
転機が訪れたのは29歳の頃でした。友人の勧めでプレイした名作アクションアドベンチャーゲーム『ICO』に衝撃を受け、「自分もゲーム制作の現場で表現を追求したい」という強い情熱が芽生えます。しかし、当時のゲーム業界において、30歳手前の未経験者を採用するスタジオは極めて限られていました。その中で、実績ではなくポテンシャルと熱意を評価して受け入れたのがフロム・ソフトウェアでした。
2004年に中途入社した宮崎氏は、当初プランナーとして『ARMORED CORE FORMULA FRONT』の開発に参加。その後、『ARMORED CORE 4』および『ARMORED CORE for Answer』でディレクターを務め、メカカスタマイズの奥深さと硬派なゲーム性を極限まで高めました。そして当時、社内で開発が難航していた新規ファンタジーアクション『Demon's Souls(デモンズソウル)』の舵取りを引き継いだことが、宮崎氏とフロム・ソフトウェアの運命を大きく変える契機となったのです。