一般論として、新興勢力の豪族たちは箔をつけるために名門氏族の名を語ることが多々あります。
しかし、「聖徳太子の末裔」と言うブランドに力がなくなってしまったため、聖徳太子の自称「末裔」を語る豪族は現れることがなかったのです。
日本の新しい歴史を刻む素晴らしい功績を残したのに、なぜそんなことになったのでしょうか。
聖徳太子は両親とも皇族であり、さらに歴代天皇とも血縁の濃い、名門の家系に生まれました。
しかし、さまざまな国政をしき、新しい日本を創った輝かしい功績があるのに、30代になったばかりのまだ若い聖徳太子は政治の世界から身をひき、奈良県の斑鳩に引きこもってしまいます。
突然の朝廷からの孤立に、一体何があったのでしょうか。
太子の死から約20年後、太子の子供で皇位継承者だった山背大兄王らが、蘇我入鹿の襲撃を受けて自決をします。
これで聖徳太子の血は途絶えてしまいました。
つまり、「聖徳太子」の血統を利用することは、若くして朝廷から退いて孤立した皇族、というイメージが先行して、自分達一族のデメリットになってしまう、という考え方になるのです。
だから、自称「聖徳太子の末裔」という人は存在しないということになりました。
そうしたことで、当然現代においても「聖徳太子の末裔」といわれる子孫が誰もいない、ということになっています。