職人肌の創業者がトップに君臨する企業は、往々にしてそのカリスマ性に組織全体が引きずられ、事業承継や拡大の壁に激突する。しかし、本田宗一郎と藤沢武夫の双頭体制はまったく異なる力学で駆動していた。藤沢が徹底したのは「技術」と「経営」の完全な分離と、互いへの絶対的な権限委譲だ。
藤沢は本田に対して「技術開発に専念してほしい、金と販売はすべて自分が引き受ける」と誓い、その約束を生涯貫いた。象徴的なのが本田技術研究所の独立分離である。開発現場が短期的な営業利益や販売部門の都合に振り回されぬよう、研究開発機関を別会社化し、研究者が自由に失敗できる聖域を築き上げたのだ。この先駆的な仕組みこそが、世界初・業界初を連発するイノベーションの土壌となった。
資金繰りに追われる黎明期から、藤沢の視線は常に世界標準にあった。販売網の構築においては、既存の問屋制度に頼ることなく、全国の自転車店や異業種を開拓して直販体制を確立。さらに手形取引の慣行を打破し、現金決済のサプライチェーンを強固に構築した。情に流されず、構造で勝つ。この冷徹なまでのシステム構築力こそが、ホンダを町工場からグローバルコングロマリットへと押し上げた最大の原動力である。