中野村で第二の生活を送った象でしたが、ブームは長くは続きませんでした。年月の経過と共に見物人は徐々に減少し、一方で象の食欲は衰えず、源助ら飼育関係者の経営は次第に逼迫していきました。
そして寛保2年(1742年)12月、象は病に倒れ、推定21歳前後でその波乱に満ちた生涯を閉じました。異国の地で生まれ、海を渡り、1,400キロを歩き抜いた巨獣の孤独な最期でした。
死後、象の亡骸は無駄にされることなく、吉宗の意向もあって徹底的に解体・利用されました。
- 皮と骨:幕府へ献上され、漢方薬の原料や防具の素材、学術標本として保管された。
- 頭骨の行方:中野村の源助に一部が下付され、中野区にある宝仙寺などに供養の痕跡が残された。
- 象志(ぞうし)の記録:幕府の学者たちによって象の生態や行動記録がまとめられ、日本の博物学の発展に大きく寄与した。
現在でも、中野区本町には象が飼育されていた歴史を伝える解説板が設置されており、かつてこの地に異国の巨獣が暮らし、人々を沸かせた記憶を静かに今へと伝えています。