イエモン「楽園」誕生の真相と歌詞の真実|吉井和哉が託した祈り

イエモン「楽園」誕生の真相と歌詞の真実|吉井和哉が託した祈り

イエモン「楽園」誕生の真相と歌詞の真実|吉井和哉が託した祈りの全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。

「楽園」が誕生した1996年後半、THE YELLOW MONKEYはまさにキャリアの大きな岐路に立たされていました。日本コロムビア(TRIADレーベル)からファンハウス(現・ソニー・ミュージックレーベルズ/アリオラジャパン)への移籍が決まり、新天地での第1弾シングルには「名刺代わりとなる圧倒的なヒット曲」が絶対条件として求められていたのです。

当時、武道館公演を成功させロックシーンでは確固たる支持を得ていたものの、シングルチャートのトップ争いという点ではミリオンセラーが乱発するメガヒット時代において決定打を欠いていました。吉井和哉は当時の自著や手記のなかで、ロンドンレコーディングを目前に控えたプレッシャーの中で「誰が聴いても一発で耳を奪われるキラーチューンを書かなければバンドの未来はない」という極限の焦燥感を抱えていたと告白しています。

その追い詰められた精神状態のなか、深夜の自宅でピアノに向かって絞り出すように紡がれたのが「楽園」のメロディでした。哀愁を帯びたマイナーコードの旋律に、ファンクやソウルを感じさせる跳ねるようなグルーヴが融合した独特のサウンドスケープは、単なる売れ線ポップスへの迎合とは完全に一線を画していました。商業的な成功を宿命づけられながらも、自らの美学を決して売り渡さないという凄まじい気迫こそが、この名曲を生み落とす原動力となったのです。

井上 凛
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井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。