1974年3月、荒井注さんがザ・ドリフターズを去るにあたって公式に掲げた言葉は「体力の限界」でした。当時、荒井注さんの脱退時の年齢は45歳。加藤茶さん(当時31歳)や仲本工事さん(当時32歳)、高木ブーさん(当時41歳)ら他のメンバーと比較しても最年長であり、毎週土曜日にTBS系列で生放送されていた『8時だョ!全員集合』のハードワークは想像を絶するものでした。
当時の制作現場は、木曜日のネタ会議から始まり、金曜日のリハーサル、土曜日本番の直前まで徹底的にギャグを叩き込む過酷なスケジュールでした。しかも舞台上を走り回り、金たらいを頭に受け、豪快にセットごと崩落する身体を張ったスラップスティック・コントです。荒井注脱退理由の真相を探る上で、まずこの猛烈な肉体的・精神的プレッシャーが40代半ばの肉体を蝕んでいたことは疑いようのない事実といえます。
しかし、メディア関係者や芸能史研究者の間では、単なる肉体疲労だけでは説明がつかない「いかりや長介 不仲説」が長年囁かれ続けてきました。リーダーのいかりや長介さんは1931年生まれで、荒井注さん(1928年生まれ)より3歳年下でした。儒教的な年功序列意識が根強かった昭和の時代に、年下のいかりやさんから連日怒鳴り散らされ、コントのダメ出しを受け続けるスタジオの空気は、荒井さんにとって極めて屈辱的なものだったと伝えられています。
いかりや長介さんの自伝『だめだこりゃ』や当時のスタッフの手記によると、荒井さんは稽古中に「俺はもう辞める」「年下に頭を下げてまで笑われたくない」と漏らすことが増えていました。さらに火種となったのが、グループ内の実質的な権力集中と「ドリフのギャラ格差」です。当時、バンドの営業窓口や契約はリーダーであるいかりやさんが一手に掌握しており、配分比率に対する不信感は初期メンバー(小野ヤスシさんらの脱退分裂劇)の時代からくすぶり続けていました。過酷を極める生放送の消耗、年下リーダーからの絶対的統制、そして金銭面での隔たり――これらが複雑に絡み合った結果としての決断だったのです。