義家の武名が日本中に轟く契機となったのが、11世紀半ばから後半にかけて東北の地で繰り広げられた前九年の役と後三年の役です。
父・頼義とともに陸奥の豪族・安倍氏討伐に赴いた前九年の役において、若き義家は獅子奮迅の活躍を見せました。馬を駆りながら次々と強弓で敵を射抜く姿は、敵味方問わず「まるで神業」と語り継がれます。激闘の末に安倍貞任を討ち取り、この功績によって河内源氏の名声は一気に跳ね上がりました。
その後、東北の覇者となった清原氏の内紛に端を発する後三年の役では、陸奥守兼鎮守府将軍として出陣します。泥沼の籠城戦となった金沢柵(秋田県)の戦いなど過酷を極めた戦局の中、義家は卓越した統率力と冷徹な戦術眼で清原氏勢力を制圧。二度にわたる奥州遠征を通じ、東国武士たちの間で「八幡太郎に従えば勝てる」という絶対的な神話が定着しました。