- 病気・老衰説
- 狗奴国に負けた戦死説
- 責任問題による殺害説
- 日食の影響による生贄説
- 箸による事故死説
日本の資料では、卑弥呼や邪馬台国について書いてある資料は無く、卑弥呼については中国の歴史書『魏志倭人伝』に記載されているのだそうです。
しかし、日本の専門家は様々な研究を重ね、この5つの説を考えました。
1つずつこの死因説を順番にまとめていきます。
①病死・老衰説
まず第一に、卑弥呼は病気で死んだ・寿命だったのではないかという説があります。
魏志倭人伝には「年巳長大」と記載されており、卑弥呼は高齢だったことが分かります。
卑弥呼は180年代~240年代までの60年もの間、国を収めていたといわれており、つまり早くて10代で女王になったとしても、60年後は70代ということ。
現代は超高齢社会なので、70代だと長寿と言われることは少ないですが、当時の平均寿命は40歳くらいだったのではないかと言われています。
平均年齢よりも2倍近く生きていると、老衰や病気の可能性が一番高く感じますね。
②狗奴国に負けた戦死説
240年代、邪馬台国は狗奴国と戦争をしていた時に亡くなったのではないかという説があります。
長期間戦いをしていたのですが、敗北の危機を感じた邪馬台国は魏に支援の要請をし、魏の使者・張政が派遣されました。
しかし、魏志倭人伝ではこの後、突然「卑弥呼以死」と記載されています。
魏に支援の要請をしたのにもかかわらず、張政が派遣されたときには状況が悪化してしまい、戦争に巻き込まれ亡くなったのではないのか、と考えられています。
しかし、この狗奴国の戦いにおいての卑弥呼の死について、戦死以外にもう1つ、殺害説も考えられています。
③責任問題による殺害説
先ほどの狗奴国との戦いについて、卑弥呼は戦いが長期化した責任を負い、殺害されたという説もあります。
長期間戦いをしているのにも関わらず一向に戦いが終わらないことに対して、卑弥呼への信用が失っていました。
そして邪馬台国は魏に支援の要請をし、魏の使者・張政が派遣されました。
この張政の派遣について、魏は「卑弥呼を殺害したい」という邪馬台国の要望を受けたからでは?と言われています。
こうして卑弥呼は戦いが長期化した責任を負い、自分が収めていた国の人々に殺されたのです。
当時は戦いの状況が悪くなるのは国王のせいだったのでしょうか…。
そう思うと、恐ろしい現実ですよね。
④日食の影響による生贄説
日食という2年続けての天変地異により、卑弥呼は生贄として死亡したのではないかという説があります。
そもそも、卑弥呼は占いやまじないで国を治めていたので、『神と通じる力』があると言われていました。
当時は日食=恐ろしいものとして考えられており、この日食が2年も連続に起こってしまったことは、卑弥呼のその『神と通じる力』が弱まってしまったのでは?と人々は考えました。
そのため、卑弥呼を生贄に差し出し、太陽を呼び戻したのでは?と言われています。
⑤箸による事故死説
なんと、「箸が陰部に刺さって死んだ」という説があります。
この説は、卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)ではないのか?という説です。
倭迹迹日百襲姫命には夫、大物主神がいました。
彼は夜にしか姿を見せなかったので、朝までゆっくりしてほしいと話すと、大物主神は「わかった。私は明日の朝にあなたの櫛笥に入っている。私の姿に驚かないでね」と返事がありました。
翌朝、倭迹迹日百襲姫命は櫛笥を見ると小さな蛇がいたのです。
もちろん、彼女は驚いて叫びます。
大物主神は恥ずかしくなり、人間の姿に戻り、「我慢できずにわたしに恥をかかせた。」と怒って出て行ってしまいます。
倭迹迹日百襲姫命は後悔し、7腰を抜かしたように座り込んだ時、箸が陰部に刺さってしまい、事故死してしまったのだそうです。
そして倭迹迹日百襲姫命は奈良県桜井市にある「箸墓古墳」に葬られたと言われています。
お墓の名前にも「箸」とついているので、この説も正しいのでは?と思いますね。