救急車やパトカー、空襲警報や津波警報で鳴り響く「サイレン(Siren)」という言葉。この音響装置の名称は、神話の怪物セイレーンに直接由来しています。
歴史的な転換点は1819年に訪れました。フランスの物理学者・発明家であるシャルル・カニャール・ド・ラ・トゥール(Charles Cagniard de la Tour)が、圧縮空気や蒸気を回転円盤の孔に通して周期的な音波を発生させる新しい音響計測機器を発明しました。この装置は、「気体中だけでなく水中でも音を鳴らすことができる」という画期的な特徴を持っていました。
「水の中でも強烈な音響を放ち、遠く離れた人々の注意を惹きつけて離さない」――この特性から、ラ・トゥールは海に潜み歌声で人を捉える怪異セイレーンの名を冠し、装置を「Sirène(仏語:シレーヌ/英語:サイレン)」と命名したのです。
当初は純粋な物理計測器具(音の振動数測定器)として開発されたサイレンでしたが、その圧倒的な音圧と遠達性が着目され、19世紀後半には濃霧の海で船に危険を知らせる「霧笛(フォグホーン)」や工場の合図、そして20世紀の都市防空警報へと用途が広がっていきました。「人を死へ招く甘美な誘惑の音」であった神話の歌声が、近代科学の手を経て「人を破滅から遠ざけるための警告音」へと真逆の役割に転換した事実は、言語文化史における極めて皮肉で興味深いパラドックスと言えます。