『紺碧の空』が誕生した直接の引き金は、昭和初期の東京六大学野球における早慶戦の熾烈なパワーバランスの崩壊にありました。
1927年(昭和2年)、慶應義塾大学は堀内敬三が作詞・作曲を手がけた新応援歌『若き血』を導入。モダンで躍動感あふれるマーチは神宮のスタンドを一変させ、慶応ナインを強力に後押ししました。これに対し、従来の古風な応援歌しか持たなかった早稲田大学は圧倒され、グラウンドでも慶応相手に手痛い連敗を喫する事態に陥ります。
「このままでは応援の熱量で慶応に屈してしまう」——。焦りを募らせた当時の早稲田大学応援部の幹部たちは、慶応の『若き血』に対抗できる、全く新しい時代感覚を持った第一応援歌の制定を決意しました。まず歌詞を学内公募し、高等師範部(現在の教育学部の前身)に在籍していた学生・住治男が応募した詩が見事当選を果たします。初夏の爽やかな青空と青年の燃え盛る闘志を格調高く描いたこの歌詞こそが、不朽の応援歌の骨格となりました。