公文書や行政の記録において用いられた正式な表現は、あくまで「第三国人」でした。では、なぜこれが「三国人」という省略形になり、広く一般社会へ広がっていったのでしょうか。
大きな契機となったのは、戦後の闇市(やみいち)における治安維持活動と警察当局の記録です。敗戦直後の極度の物資不足の中、全国各地のターミナル駅周辺に闇市が形成されました。そこでは一部の旧植民地出身者グループが「自分たちは戦勝国民(解放国民)である」と主張し、日本の警察権に従わない姿勢を見せる事例が発生しました。
1946年に発生した「渋谷事件」や「新橋事件」など、闇市の利権や治安を巡る衝突が相次ぐ中、警視庁や地方警察の内部文書、報告書で「第三国人」「三国人」の記述が頻繁に使われるようになります。現場の警察官や一般市民の間で言葉が短縮され、取り締まり対象や警戒すべき勢力を指す通称として口頭で日常的に使われるようになりました。