市橋受刑者がなぜこれほど長期間にわたって捜査網を潜り抜けることができたのか。その背景には、警察の追尾を極限まで恐れた結果生み出された、執拗な偽装工作と生活防衛の手段がありました。
逃亡直後、市橋受刑者は埼玉県の路上や公衆トイレで自らハサミやカッター、針を使い、鼻翼を縫い縮めたり下唇を切り取ったりする自傷的なセルフ整形を行いました。その後、日雇い労働で貯めた資金を元手に、福岡や名古屋の美容整形クリニックを訪れ、本格的な隆鼻手術やホクロ除去を重ねて人相を劇的に変化させていきました。
生活拠点として選んだのは、社会の目が届きにくい極端な二重生活でした。沖縄県久米島の東側に位置する無人島・オーハ島にコンクリートブロックとブルーシートで小屋を建て、自生する植物や魚、蛇などを捕食しながら数カ月単位で潜伏。食料や資金が尽きると、大阪のあいりん地区(西成)や神戸、茨木市などの建設現場へ向かい、「井上康弘」などの偽名を使って住み込みの日雇い労働に従事していました。
手記や法廷証言によると、市橋受刑者は常に帽子と眼鏡を深く着用し、同僚との会話を最小限に制限。誰にも心を開かず、指名手配犯としての素性が露呈することを恐れながら、日給の大半を手元に残して次の逃亡資金へと充てる生活を繰り返していました。