青木被告の父親は、中野市議会の議長を務めていた名士であり、地元でも広く知られた旧家でした(事件直後に議長職および市議を辞職)。青木被告は3人きょうだいの長男として育ち、地元の小中学校を卒業後、県内の高校を経て東京都内の大学に進学しています。しかし、大学生活には馴染めず中途退学し、自衛隊へ短期間入隊したものの早期に離職。その後、長野県へ戻りました。
地元に戻った被告は、父親が設立に関わった農業法人「マサノリ・アグリメント」の役員として、フルーツ栽培や観光客向けのジェラート店「Gelateria Frutti」の立ち上げ・運営に携わっていました。一見すると実業家として順調な再スタートを切ったかのように見えましたが、実際の店舗運営や接客においてトラブルが絶えず、周囲との人間関係を構築できずに孤立を深めていきました。
関係者の証言によると、被告は幼少期から極めて内向的で感情の表出が乏しく、強い挫折感を抱えやすい気質であったとされています。父親の社会的成功や地域での高い信望に対する劣等感、自身の社会的孤立が複雑に絡み合い、精神的な歪みが長期間にわたって蓄積していった経緯が浮き彫りになっています。