文枝師匠の歩みは、上方落語の復興史そのものです。戦後、東京の落語界が定席(常設寄席)を維持し発展したのに対し、大阪の上方落語は所属落語家が十数名にまで激減し、一時は滅亡の危機に瀕していました。その危機を救ったのが、若き日の桂三枝であり、後の六代 桂文枝の襲名に至る一連の改革でした。
桂文枝の経歴・プロフィールを振り返ると、1966年に名匠・三代目桂小文枝(後の五代目桂文枝)に入門。ラジオ『ヤングリクエスト』での軽妙なトークで若者のカリスマとなり、「オヨヨ」「いらっしゃ〜い」といった国民的流行語を連発しました。しかし、どれほどテレビで多忙を極めても上方落語の火を消してはならないという情熱は失われませんでした。
2003年、上方落語協会の会長に就任した師匠は、約60年ぶりとなる念願の常設寄席「天満天神繁昌亭」の開場(2006年)を主導。自ら企業や行政、市民への頭を下げて回る寄付金集めの先頭に立ちました。そして2012年7月16日、70歳を目前にした69歳の誕生日に大名跡「六代 桂文枝」を襲名。タレントから上方落語界の統率者への昇華を成し遂げました。