広島市内には、八丁堀・流川・薬研堀といった歓楽街から、広島駅周辺のエキエ(ekie)まで、無数のお好み焼き激戦区が存在します。その中で、地元民とお好み村の関係性はどのように捉えるべきでしょうか。
広島の地元住民は、普段のランチや出前では「自宅近くの町のお好み焼き屋」を利用する傾向が顕著です。しかし、県外から友人が訪れた際や、深夜に仲間とお酒を飲みながら鉄板料理をつまみたい場面において、お好み村は今なお有力な選択肢として機能しています。
広島の食文化史を振り返ると、第二次世界大戦後の原爆投下からの復興期、新天地広場に集まった約50軒の屋台が現在の「お好み焼き」の原型を育て上げました。作家の故・田中学氏が「お好み村」と命名し、1992年に現在の近代的なビルへと改築された経緯があります。つまり、お好み村は単なる商業施設ではなく、「広島の復興と屋台文化の生きた博物館」という社会的な文脈を持っています。この歴史的リアリティを肌で感じられる点こそ、路面店単体にはない独自の付加価値です。