木村束麿呂の生い立ちは、決して経済的に困窮した環境ではありませんでした。宇治市内の比較的裕福な家庭で育ち、犯行現場となった宇治小学校の卒業生でもありました。
しかし、本人の供述や公判での証言によると、小学生時代に同級生から仲間外れやいじめを受けたと強く思い込んでいたとされます。中学・高校と進学するにつれて周囲との人間関係をうまく構築できず、次第に不登校や引きこもりの傾向を強めていきました。
家族との関係性も次第に希薄化し、自室に閉じこもってゲームやインターネットに没頭する日々が続いていたと報じられています。定職に就くことも難しく、将来への絶望感と社会への強いルサンチマン(怨恨)を募らせた結果、その怒りの矛先を「原体験の場」である母校へと向ける凶行に至りました。