一般社団法人日本プロ野球名球会は、日本野球機構(NPB)とは法的に独立した任意団体として1978年に産声を上げた。その中心にいたのは、通算400勝という前人未到の記録を誇る金田正一氏である。「昭和生まれ」を条件とし、社会貢献や野球振興を掲げた同会は、金田氏の強烈なリーダーシップによって急速に球界最大のブランドへと成長した。
しかし、その急成長の裏で常に議論を呼んだのが名球会入会資格規約の厳格さと硬直性だった。投手分業制が進むにつれ、現代野球において「通算200勝」を達成することは至難の業となった。ホールドポイントの評価や、日米通算記録の扱いなど、時代の変遷とともに規約の見直しを迫られる局面が相次いだ。
NPB公式の表彰規定ではなく、あくまで私的団体の規約でありながら、日本球界における実質的な「最高峰の殿堂」として機能してしまった事実。このねじれ構造こそが、選手個々の価値観とのズレを生み出し、入会をためらわせる土壌を作っていたともいえる。