飛田新地の起源は1912年の「ミナミの大火」に遡る。難波新地乙部遊廓が焼失したことを契機に、当時の都市計画の周縁部であった阿倍野区・西成区(大阪市)の境界付近へと移転が集約され、1916年に近代的な遊廓として誕生した。整然とした碁盤の目状の街路、周囲と隔絶するための大門跡や嘆きの壁と呼ばれる擁壁など、当時の遊廓文化を色濃く反映した空間構造が今も物理的に残されている。
街の象徴的な建築として知られるのが、登録有形文化財に指定されている「鯛よし百番」だ。大正・昭和初期の絢爛豪華な木造遊廓建築をそのまま活かした料亭であり、日光東照宮や桃山文化を模した彫刻、優美な中庭、各部屋ごとに異なる凝った意匠は、かつての歓楽街が持っていた高度な職人技と文化的ステータスを雄弁に物語っている。
戦災やジェントリフィケーションによって日本全国の旧遊廓が姿を消す中、このエリアだけが当時の建築様式と路地景観をほぼ無傷で残している。歴史地理学や都市社会学の観点からも、奇跡的に保存された生きた近代建築群としての側面を持つ。