- 名 前 新井 恵理那(あらい えりな)
- 生年月日 1989年12月22日
- 出生出身 アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ、神奈川県川崎市育ち
- 仕 事 フリーアナウンサー、キャスター、タレント
- 所 属 セント・フォース
新井恵理那さんは、2009年青山学院大学に在学中に「ミス青学コンテスト」でグランプリを受賞しました。
「ミス青学」といえば毎年レベルが高く、多くの芸能人やアナウンサーを輩出しています。
まだ少しあどけなさが残っていて、可愛いですね。
また、2019年上半期の「TV番組出演本数ランキング 女性部門」で1位に選出されました。
新井恵理那さんは、人気があるアナウンサーだという事がわかりますね。
生まれはアメリカ
新井恵理那さんはアメリカで生まれました。
新井恵理那さんの父親は、アメリカで自営業(高級車の販売)をしていたそうです。
一階で店舗を経営する自宅で生活をしていました。
フェラーリなどを扱っていたそうなので、もしかすると裕福な生活を送っていたのかもしれませんね。
幼い頃は転勤族
新井恵理那さんは、父親の仕事に都合で2歳から6歳まで日本で過ごし、6歳(幼稚園卒園後)から1年半カリフォルニアで過ごしました。
合計2回転勤したことになります。
そんな環境だったからか、幼い頃は英語での会話が上手だったそうです。
転勤で違う環境に置かれても、すぐに吸収することができる子供の適応力はすごいですよね。
また、幼少期は「セーラームーン」が好きだったそうですが、日本にいた時に好きになったのでしょう。
帰国子女でも英語は苦手
新井恵理那さんは、帰国子女ですが、英語が苦手だそうです。
2019年のインタビューでは、こう答えています。
アメリカ生まれといっても、英語が得意なわけではありません。
出典:https://otekomachi.yomiuri.co.jp/
日常的に英語を使う機会がないと忘れてしまいますもんね。
新井恵理那さんは「英語を話せるようになりたい」と思っているそうです。
英語を流暢に話す新井恵理那さんを見てみたいですね。
活発な学生時代
新井恵理那さんは「弓道がやりたくて」高校選びをしたそうです。
小学生の時に読んだ、高橋留美子さんのマンガ『犬夜叉』に弓を引くキャラクターがいまして、その作品が好きだったことと、登場するキャラクターがカッコよくて、高校受験で弓道部のある学校を選びました。
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/
幼少期に影響を受けたことは、後の自分の人生に影響を与えることが多いですが、新井恵理那さんもそうですね。
今も弓道をされていますし、弓道は魅力的なスポーツなんですね。
平日は、授業が終わると道場まで走って行って、5分で着替えると、ひたすら弓を引き続けていました。同じ動作をするんですけど、弓道の筋肉は弓道で鍛えられるし、課題が見つかると次の一射で変えてみる、というのを繰り返して、1日100本以上引いていました。
出典:https://sportiva.shueisha.co.jp/
高校時代は部活をハードにこなしていました。
高校2年生から主将になり、皆を引っ張っていたそうです。
2026年放送の『炎の体育会TV』(TBS系)では、新生女子弓道部の主将を務めた新井恵理那さん。
2度目の主将ということは、かなりリーダーシップがあるんですね。
また、大学時代はバドミントンサークルに所属しました。
青山学院大学にも弓道部はありますが、入らなかったようですね。
大学生活は楽しげなイメージのサークルに入ってみたのでしょうか。
しかし、高校時代ハードに弓道をこなしていたので、バドミントンも本気でやっていたような気がしますね。
この動画は「高校の同級生とバドミントン対決」をしていますが、とても楽しそうです。
大人になっても楽しめるということは、大学時代も本気で取り組んでいたということですね。
「わたしは大学生の頃、サークルでバドミントンをはじめ、いまだに大好き!やり出すと止まらないんです…」
出典:https://plus.tver.jp/
芸能界を意識したキッカケ
新井恵理那さんの國學院高等学校時代の卒業文集には、こう書いてありました。
もし芸能界入りするなら19才。超有名になる予定
出典:https://www.youtube.com/
すでに芸能界を意識していたようですね。
しかも未来の自分が超有名になることまで予測しています。
当時決めていた芸名が「新井ほたて」だったそうです。
かわいいですね。
「ほたて」にした理由は、食わず嫌いだったほたてを青森の親戚の家で食べたら美味しくて感動したから。字面も可愛かったから。だそうです。
この発想のかわいさが、人気の秘訣なのかもしれません。
新井恵理那さんは、2009年からセント・フォースのスプラウト部門に入り、芸能活動を開始します。
また、TVキー局を4社受けましたが、全滅しました。
フジテレビの試験では最終面接までいきましたが、不採用となりました。
悲しみに暮れているところ、「アナウンサーオタクの父親」に励まされました。
「お前はいつかセント・フォースに入る。諦めたらそこで終了だよ、だから頑張れ」
これが現実となり、2012年にセント・フォース本体へ転籍しました。
