いまや日本を代表する名優となった阿部寛だが、そのキャリアの出発点はモデルとしての絶頂と、その後に訪れた過酷な冬の時代だった。創刊初期から看板モデルとしてギネス記録級の表紙登場回数を誇り、爆発的な人気を博した阿部寛。しかし、俳優への転身当初は「背が高すぎて画面で浮く」「モデル出身の棒立ち」といった手厳しい偏見に晒され、数年間仕事が激減する苦渋を舐めた。パチンコで生計を立て、自ら軽トラックを運転して営業に回ったというエピソードは、彼の不屈の骨太さを物語る伝説的な裏話だ。
同じく90年代の誌面をクールかつアーティスティックに牽引した田辺誠一もまた、モデルブームの渦中で独自の模索を続けていた。当時はトレンディドラマ全盛期。華やかな恋愛ドラマへのオファーが殺到する中、田辺は単なる美男子枠に安住せず、自らインディーズ映画を監督・脚本するなど先駆的なクリエイティビティを発揮していた。現場のプレッシャーや葛藤を抱えながらも、彼らは自らの手で「モデル出身俳優」というレッテルを実力派の看板へと塗り替えていったのである。