「支那人」はなぜタブーなのか?語源と歴史から読み解く呼称問題の真相

「支那人」はなぜタブーなのか?語源と歴史から読み解く呼称問題の真相

「支那人」はなぜタブーなのか?語源と歴史から読み解く呼称問題の真相の基礎知識と応用に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

中立的な地理概念であった言葉が政治的・感情的な火種となった背景には、日清戦争(1894〜1895年)以後の日中関係の力学変化が存在します。

1912年に辛亥革命によって清朝が滅亡し、新国家「中華民国」が成立しました。中華民国政府は日本側に対し、自国の国号として「中華民国」、略称として「中国」を用いるよう公式に求めます。しかし当時の日本政府や陸海軍、主要メディアは、その要求を拒否し続けました。

日本側が呼称の変更を拒んだ理由は主に二点ありました。

  • 「中華」という語に含まれる「世界の中心、華やかな文明の地」という伝統的な中華思想に対する反発
  • 政権が乱立し軍閥が割拠していた当時の情勢を理由に、統一国家としての実体を認めず、単なる「地理的一地域」として扱おうとした政治的意図

日本側が相手国の正式な名乗りを退け、旧態依然とした呼称で呼び続けた態度は、相手側から見れば明白な主権軽視と映りました。さらに1937年に勃発した軍事衝突を日本政府が「日中戦争」ではなく「支那事変」と公式呼称したことで、戦時体制下のプロパガンダや蔑称としての文脈が強固に定着していきました。戦地における優越意識や侮蔑感情と分かちがたく結びついた結果、かつての中立的な学術用語は、取り返しのつかない政治的・差別的色彩を帯びることになりました。

田中 結衣
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田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。