今回は浅井長政の子孫が、3人の娘たちを通じて現在も血統があるかを調べました。
・長女茶々は豊臣家の嫡男秀頼の母となりますが、大阪夏の陣で秀頼と共に自害し茶々の子孫は途絶えました。
・次女初は名門「京極家」に嫁ぎますが、子宝に恵まれず初の子孫は途絶えました。
・三女江は娘の完子姫が公家の「九条家」に嫁ぎ、この九条家から後の大正天皇の妃である節子が生まれました。
つまり、江の子孫は天皇家と結びついて、現代でもその血筋を残していたのです。
浅井長政は生涯愛したお市の方との間に、3人の娘を授かりました。
早くに父親を、その後に母親を亡くした3人の娘たちは、その知恵と逞しさとしたたかさで、激動の乱世を生きそして旅立ちました。
戦国時代は男たちだけのものではなく女たちも命を賭け戦い、大切なものを守り抜いた時代だったのです。