丙午にまつわる不吉な言説の根底には、古代中国から伝来した陰陽五行思想と、江戸時代の大衆文化が作り出した劇的な物語の交錯が存在します。十干の「丙(ひのえ)」は火の兄(陽の火)を指し、十二支の「午(うま)」も火の性質(南・正午の強い陽気)を持っています。この2つが重なる丙午は「火性が極限まで強まる年」と解釈され、本来は火災や天変地異を警戒する暦上の伝承に過ぎませんでした。
これが「女性の気性」と結びつけられた決定的な契機が、江戸時代前期に起きた放火未遂事件の当事者、「八百屋お七」をめぐるフィクションの流布です。恋人に会いたい一心で自宅に火を放ち、処刑された少女・お七の悲劇は、井原西鶴の浮世草子『好色五人女』や浄瑠璃、歌舞伎の題材として広く大衆に浸透しました。その劇中で「お七は丙午(1666年)生まれの生まれ変わりであり、火の気性ゆえに狂気の恋に走った」という劇的な脚色が施されたことで、「丙午の女は情熱的すぎて男を破滅させる」「夫を食い殺す」という俗説が一気に定着したのです。
当時の封建的な家制度において、従順さや控えめさを美徳とされた女性像に対し、自分の意志で行動を起こす自立的な女性は「家を滅ぼす脅威」として忌避されました。支配層や家父長制の価値観が、民衆の迷信を利用して女性の自由な気風を抑圧するためのレッテルとして機能していた側面は見逃せません。