ユダヤ教における偶像禁止の原点は、紀元前13世紀頃に遡る古代イスラエルの指導者モーセの時代に確立されました。ユダヤ教・キリスト教共通の聖典である旧約聖書の『出エジプト記』第20章に記された「モーセの十戒」において、神は次のように命じています。
「あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水の中にあるもの、それらのいかなる形をも造ってはならない。それらにひれ伏してはならない。それらに仕えてはならない。」
十戒の第1戒「私のほかに神があってはならない」に続き、第2戒として即座に置かれている事実が、その重要性を雄弁に物語っています。この教えを象徴する劇的な事件が、出エジプト記第32章に登場する「金の子牛」の背教事件です。
シナイ山に登ったモーセが神と契約を結ぶため不在にしていた40日間、荒野に取り残された民衆は激しい不安に苛まれました。「自分たちを導いてくれる神を見せてほしい」と詰め寄られた祭司アロンは、人々の金耳輪を集めて溶かし、鋳造した子牛の像を作り上げました。民衆はその像を取り囲んで酒宴を開き、「これが我々をエジプトから導き出した神だ」と叫んで踊り狂ったのです。山から下りてその光景を目の当たりにしたモーセは激怒し、神から授かった十戒の石板を粉砕。子牛の像を焼き払って粉々にすり潰し、偶像に走った3,000人規模の民が粛清されるという苛烈な結末を迎えました。
歴史的な背景を紐解くと、当時のカナン地方にはバアル信仰など豊かな実りを約束する具体的な神像が溢れていました。周囲の多神教民族に同化せず、唯一神ヤハウェとの契約共同体としてのアイデンティティを保つためにも、目に見える像の排除は共同体の存亡をかけた絶対的命題だったのです。