歴史の教科書では「魔女裁判で処刑された」と要約されがちなジャンヌ・ダルクですが、法的な処刑理由は魔女罪ではありません。彼女を裁いたのはボヴェ司教ピエール・コーションが主導する教会の「異端審問裁判」であり、最終的な死刑の決定打となったのは「男装の再着用(異端への後戻り=再没落)」でした。
イングランド側にとって、シャルル7世をランス大聖堂で戴冠させ自軍を撃破したジャンヌは、「神の御使い」であってはならず、「悪魔の手先」でなければ軍事的威信が保てない存在でした。そのため親英派であった司教ピエール・コーションを使い、入念に仕組まれた裁判を開廷したのです。
しかし、神学的な学識を持たないはずの19歳の農村の少女は、老獪な審問官たちの神学的誘導尋問をことごとく論破しました。追い詰められた裁判側は、過酷な軍事刑務所への監禁、鎖による拘束、夜間の見張り役兵士による性的暴行の脅迫といった肉体的・精神的拷問でジャンヌを衰弱させます。
死の恐怖と疲弊の中で、ジャンヌは一度、教会の指示に従う旨の「異端悔悛書」に署名させられ、終身刑への減刑と引き換えに女性の衣服を着用することを受け入れました。しかし、独房に戻されたジャンヌは、再び男物の服に身を包むことになります。これには、監視のイギリス兵による強姦未遂から身を守るための防衛策だったという証言や、看守が女性服を取り上げて男装を無理やり置いたという謀略説が復権裁判で明かされています。教会法上、「一度悔悛した者が再び異端の行為に及ぶこと(再没落)」は即座に世俗刑務所へ引き渡され、火刑台へ送られることを意味していました。コーションはこの規定を冷酷に利用し、死刑宣告を正当化したのです。