中村紀洋のプロ生活は、まさに波乱万丈という言葉がふさわしい激動の連続でした。近鉄の主砲として君臨していた2002年には、推定年俸5億円という球界最高峰の契約を結び、名実ともにトップスターの座に上り詰めました。
しかし、メジャー挑戦後の国内復帰や度重なる故障により、一時は所属先を失う最大の危機に直面します。2007年春、中日ドラゴンズの春季キャンプにテスト生として参加し、育成契約(推定年俸400万円)から再スタートを切る決断を下しました。最高年俸から100分の1以下への大減俸という屈辱的な状況にも、中村紀洋はバット一本で立ち向かいました。
支配下登録を勝ち取ると、同年の日本シリーズで打率.444の大暴れを見せ、中日の53年ぶり日本一に貢献して日本シリーズMVPを獲得。どん底から這い上がったこの復活劇は、多くのファンの胸を打つプロ野球史上の名場面となっています。