日本中を驚愕させた「ふんどしカレンダー」が企画されたのは、宮沢りえが16歳を迎えた1989年のことでした。当時、三井のリハウスの初代CMキャラクター「白鳥麗子」役で爆発的な人気を獲得し、トップアイドルとして多忙を極めていた彼女に、日本の伝統衣装である褌(ふんどし)を着用させるという大胆な構想を打ち出したのは、実母でありマネージャーを務めていた故・宮沢光子氏(通称・りえママ)と、写真界の巨匠・篠山紀信氏でした。
撮影の舞台裏について、篠山氏は後に回顧録やメディアインタビューで「りえの持つ圧倒的な野生美と無垢な肉体美を、既存のアイドルの枠にはめず、日本の原風景的な美として表現したかった」と語っています。一般的な水着グラビアのように性的な視線を誘う構図ではなく、神事やお祭りを想起させる凛とした立ち姿、引き締まったヒップラインを堂々と見せる構成は、当時のグラビア界の既成概念を根底から打ち破るものでした。
現場では、母・光子氏の「中途半端なものは作らせない」という強烈なプロデューサー意識が貫かれていました。宮沢りえ本人も後年のインタビューで、当時は戸惑いを感じつつも「カメラの前に立つ以上はプロの表現者として応えたい」という覚悟で挑んでいたことを明かしています。16歳の少女の純真さと、大人のアーティストたちが仕掛けた前衛的な美学が奇跡的なバランスで融合した結果、あの歴史的カットが誕生したのです。