ネット上の言説やSNSの投稿では、「溥儀は処刑されたのか?」「文化大革命で紅衛兵に虐殺されたのではないか?」といった誤解がしばしば見受けられます。歴史的事実に基づく真相を検証します。
死因の真相:過酷な時代の波と尿毒症による病没
溥儀の公式な死因は腎臓がんおよび尿毒症(にょうどくしょう)です。1967年10月17日未明、北京の首都病院(現・北京協和医院)にて61歳で息を引き取りました。
確かに当時、中国全土では毛沢東が発動した「文化大革命(文革)」が吹き荒れており、清朝の残滓かつ元戦犯である溥儀は紅衛兵の格好の標的となっていました。自宅に紅衛兵が押し寄せ、精神的に追い詰められて病状が悪化したことは事実です。しかし、周恩来首相の特別な保護指示が出されていたため、直接的な暴行や処刑によって命を落としたわけではありません。遺体は八宝山革命公墓で異例の火葬に付され、現在は清朝歴代皇帝の陵墓である清西陵に隣接する民間霊園「華龍皇家陵園」に静かに眠っています。
溥儀に子供はいたのか?現在の愛新覚羅一族の末裔
溥儀は生涯で5人の妻(婉容、文繍、譚玉齢、李玉琴、李淑賢)を迎えましたが、実子は1人も存在しません。溥儀自身が生殖能力を持たなかったことが医学的記録や妻たちの証言から明らかになっています。
そのため、「ラストエンペラーの直系の子孫」は存在しません。ただし、溥儀の弟である愛新覚羅溥傑(ふけつ)(日本の華族・嵯峨浩と結婚)や、異母弟の愛新覚羅溥任(ふにん)の家系が現在も続いています。溥任の長男である金毓嶂(きん いくしょう)氏は地質学者・政治家として中国社会で重職を務めるなど、一族の末裔たちは「愛新覚羅」の姓を「金」などに改姓しながら、現代中国および日本の社会で一般市民や専門職として穏やかな生活を送っています。