高嶋弘之氏のキャリアを語る上で欠かせないのが、当時の東芝EMI(東芝音楽工業)時代における常識破りのプロモーションだ。1960年代、まだ日本で無名だったザ・ビートルズのレコードを国内盤としてリリースする際、彼は斬新なアイデアを次々と繰り出した。
「抱きしめたい」という日本語邦題の発案をはじめ、学ラン姿の若者に街を歩かせてサクラとして流行を演出するなど、破天荒な手法を展開。直感と行動力に満ちた彼の音楽プロデュースは功を奏し、日本中にビートルズ旋風を巻き起こした。まさに日本の音楽業界におけるマーケティングの礎を築いた伝説の男だ。