大正期、長谷川かな女は『ホトトギス』誌上で一気に注目を集める。主宰者である高浜虚子は、彼女の持つ天性の色彩感覚と、時に痛々しいほどの感覚的切れ味を高く評価した。しかし、虚子が掲げる「花鳥諷詠」「客観写生」の教条と、かな女の内面から吹き出す「自己主張」との間には、次第に解きほぐしがたい摩擦が生じていく。
写生主義の枠組みを超えた「女性の内面描写」
当時の男性俳人たちが自然の景物を客観的に切り取ろうとしたのに対し、かな女の句では自然が常に自身の精神状態と密接に結びついていた。雨の重み、雪の速さ、花の匂い。これらは単なる景物ではなく、彼女の肉体感覚そのものの投影だった。この直観的な自己表現こそが、彼女を『ホトトギス』内部における異端でありながらも中心的な存在たらしめた理由である。