戦後の混乱期、東京の街には親を失った孤児があふれ、生きるために犯罪に手を染める少年たちが急増していた。この悲劇的な事態に心を痛めた嘉子は、新設される「家庭裁判所」の設立準備に自ら手を挙げ、参画した。
家庭裁判所は、単に罪を裁く場所ではなく、傷ついた少年や破綻した家庭を「再生させるための場所」でなければならない。それが彼女の固い信念だった。福祉的観点と法律的観点を融合させ、少年犯罪の背景にある貧困や家庭環境に深く切り込む審判スタイルを確立していった。
彼女は全国の現場を飛び回り、街頭補導や児童施設への視察を重ねた。法律の条文を機械的に適用するのではなく、「この子にとって何が一番の幸せなのか」を問い続けた姿勢は、後に「家庭裁判所の母」と称されるゆえんとなった。彼女が築いた家庭裁判所の基本理念は、現在も日本の法制度の中に深く根付いている。