江戸時代を通じて、一族は大きく二つの有力な系統に分かれて繁栄を維持した。老中を輩出し譜代大名として幕政の中心に座り続けた小田原藩の系統と、豊後国(大分県)の要衝を治め続けた外様大名の臼杵藩である。この東西分派の構図は、リスクヘッジの観点からも極めて合理的な体制だった。
小田原藩主家は将軍のお膝元で幕政の舵取りを担い、権勢を誇示する一方で、失脚や転封の激しいリスクに晒されていた。一方、九州の臼杵藩主家は質素倹約を旨とし、強固な地域統治と財政改革を断行して幕末まで一度の改易もなく領地を守り抜いた。中央の権力闘争と地方の実利主義。この役割分担が、徳川260年の太平において一族の命運を支え続けた。