この言葉のルーツは、17世紀フランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌの寓話に遡る。ずる賢い猿にそそそのかされた猫が、囲炉裏の中で焼けている栗を熱い思いをして拾い上げたものの、結局その栗はすべて猿に食べられてしまったというストーリーだ。つまり、本質的には「他人に利用され、命がけの努力をしたにもかかわらず、甘い汁はすべて他人に吸われる」という、極めて皮肉で悲劇的な教訓を含んでいる。
日本ではしばしば「自ら進んで困難な課題に挑戦する」というポジティブな文脈で誤用されがちだが、本来の意味はあくまで「他人の利益のために利用される愚行」である。このギャップこそが、現代のコミュニケーションにおける誤解を生む原因にもなっている。