寬仁親王は、皇室のあり方について時に波紋を呼ぶほどの直言を行ったことでも記憶されています。その最たるものが、1982(昭和57)年に申し出られた「皇籍離脱発言」でした。皇族としての公務や制約に縛られず、一個の人間として社会事業に専念したいという苦悩からの発言でしたが、宮内庁や周囲との対話を経て思い直し、以後さらに精力的に皇族としての責務を全うする決意を固められました。
また、2000年代半ばに小泉純一郎内閣のもとで女性・女系天皇の容認が議論された際には、月刊誌などのメディアで明確に「男系男子による皇位継承の維持」を主張されました。旧宮家の皇籍復帰などを具体策として提唱し、数千年にわたり紡がれてきた伝統の重みを説いた発言は、当時の世論に大きな一石を投じました。
政治的発言と受け取られかねないリスクを背負ってでも、皇室の将来に対する危機感を率直に訴えかけた姿勢は、皇族としての揺るぎない覚悟の表れでした。