かつて御陵の建設地を選定する際、候補地は多摩地区だけに絞られていたわけではなかった。当時の宮内省(現・宮内庁)の記録や関係者の証言を紐解くと、地盤の堅固さや東京からのアクセス、さらには富士山を望む風水的な方角まで、綿密な調査が重ねられたことが分かる。最終的に浅川(現・八王子市)のこの地が選ばれた背景には、関東大震災からの復興という時代的要請も絡んでいた。
さらに興味深いのは、造営時に集められた職人たちの技術継承だ。重機に頼りすぎず、手作業で石を積み上げ、自然の植生を壊さないよう配慮された施工法は、現在のSDGsや環境保全の思想を先取りしていたと言える。公の文書には記録されにくい当時の現場労働者たちの執念と技術革新が、今なお青々と茂る森を支えているのだ。