映画公開当初から現在に至るまで、インターネット上の掲示板やSNSではヒロインである楓に対する辛口な意見が散見されます。視聴者が彼女に対して強い違和感や拒否感を抱いてしまう背景には、主に3つの明確な理由が存在します。
第1の理由は、「熊徹と九太の濃密な関係性に割り込んできた」と感じられる点です。物語の前半は、親のいない九太と不器用な熊徹がぶつかり合いながら本物の親子以上の絆を築き上げていく、極めて純度の高いバディ・育成ストーリーとして描かれます。観客が渋天街(じゅうてんがい)での熱い日々に没入している中、青年期になった九太が人間界へ戻り、偶然出会った楓と急速に親密になる展開に対し、「物語の軸がブレた」「バケモノ界の師弟愛だけをもっと観たかった」という不満が生じやすくなっています。
第2の理由は、上から目線に見えてしまう言動や説教臭さです。渋谷の図書館で出会った際、文字の読めない九太に対して勉強を教えるプロセスそのものは親切心から出たものですが、初対面に近い段階からの距離の詰め方や、自己主張の強さが一部の視聴者には「押し付けがましい」「うざい」と受け取られてしまいました。
そして第3の理由が、終盤のクライマックスにおける無謀な行動です。闇に呑まれた一郎彦との決戦において、戦闘能力を持たない生身の女子高生である楓が危険な渋谷の街中へ飛び出し、九太の戦いに同行するシーンがあります。「足手まといになるリスクが高いのに、なぜ連れて行くのか」「結界や特殊能力もないのに邪魔ではないか」という現実的な疑問が、ヒロイン批判を加速させる決定打となりました。