幕府が下した判決は常軌を逸した厳しさだった。中心人物の絵島は死罪を免れたものの信州高遠藩へ遠島・幽閉となり、生島新五郎は三宅島へと流罪に処された。さらに絵島の兄をはじめとする親族、大奥の女中たち、さらには出入りの商人や劇場の関係者に至るまで、処罰対象は連座して1400人以上に膨れ上がった。
なぜこれほどの大量粛清が必要だったのか。そこには江戸幕府による周到な情報統制と隠蔽工作が存在した。単なる大奥の風紀乱れとして処理することで、将軍家継の正統性や幕府上層部の内紛を世間の目から隠蔽したのである。表向きは「大奥の規律正しき改革」を演出しつつ、裏では対立勢力を根こそぎ排除する政治的捏造が完了していた。