東京農工大学の工学部をストレートで卒業した川谷は、同大学院の工学府修士課程へと進学します。日本の国立理系大学において、工学部生の大学院進学は大手化学メーカーや研究機関への就職を見据えた「王道ルート」です。しかし、彼は修士課程の在学中に大学院中退という大きな決断を下しました。
本人が過去の長編インタビューや自著などで語った告白によれば、中退の最大の理由は「研究室における実験拘束時間と音楽活動のスケジュール破綻」にありました。理系の大学院では、朝から晩まで研究室に缶詰となってフラスコを振り、データを集める「コアタイム」が厳格に定められているケースが少なくありません。当時、すでにindigo la Endの活動が本格化し、都内のライブハウス出演やレコーディングの機会が急増していた川谷にとって、両者を高い水準で両立することは物理的に不可能となっていました。
「実験の合間に歌詞を書き、終電でライブハウスへ向かう生活には限界があった。どちらも中途半端になるくらいなら、自分の命を懸けられる音楽一本に絞りたかった」という当時の生々しい述懐が示す通り、この中退劇は単なるドロップアウトではなく、「退路を断って音楽の世界で生き抜く」という強固な覚悟の表れでした。教員家庭で育った川谷にとって、国立大学院の中退は親兄弟との衝突を伴う苦渋の選択でしたが、この覚悟がわずか数年後のメジャーシーン席巻へと直結することになります。