今現在も、年齢を感じさせない美しさがありますが、若い頃はもっと美しかったようです。
そんな黒柳さんの若い頃を見ていきましょう。
問題児だった学生時代
黒柳徹子さんは、幼少期に問題児扱いされていました。
教室のふたが珍しく、授業中に何度もパタパタ開け閉めしたり、窓際でチンドン屋さんを呼び込んだりと、授業に集中できなかったそうです。
そのため先生から迷惑がられ、小学校1年生の時に学校を退学させられています。
しかし、その後転校した「トモエ学園」では、のびのびと小学校生活が送れるようになります。
転校初日に、校長先生が「なんでも話してごらん」と言ったので、1年生だった黒柳さんは4時間もしゃべり通したそうです。
黒柳さんが話している間、校長先生は話を遮ることなく最後まで話を聞いてくれました。
黒柳さんは、後に自身が発達障害であることを公表しています。
校長先生から、毎日「君は本当はいい子なんだよ」と言われ、のびのび育った黒柳さん。
問題児扱いされ、転校していなければ、今の黒柳さんはいなかったかもしれませんね。
テレビ女優第1号として活動開始
黒柳徹子さんは、1953年NHK放送劇団の一員になり、テレビ女優第1号としてデビューしました。
NHK放送劇団5期生で、約6000人の応募者の中から6次審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれています。
1954年には、ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で自身初の主演を務めます。
その後は、子ども向け番組で様々なキャラクターの声を演じるなど、週6、7本のレギュラー番組を抱えるなど、多忙を極めるようになりました。
1958年には、「第9回NHK紅白歌合戦」の司会を務めます。
その後1980年から4回連続で紅白歌合戦の司会を務め、2015年にも総合司会を務めます。
紅白歌合戦では、合計6度の司会を務め、NHKアナウンサー以外の女性では最多となっています。
また、舞台女優としても活躍し、毎日芸術賞や読売演劇大賞の主演女優賞も受賞しています。
ニューヨークへ留学
黒柳徹子さんは、1971年9月から1年間、ニューヨークに留学しています。
ニューヨークでは、ワンルームに暮らしながら演劇学校で演技の勉強や、ダンススクールでダンスの勉強をしていたそうです。
また、その当時、着物を着て社交の場に行っていたことから、「着物と洋服、どちらにも似合う髪形を開発したい」と、トレードマークの『タマネギヘア』が生まれたそうです。
『徹子の部屋』の司会に抜擢
1976年には、『徹子の部屋』の司会に抜擢されます。
徹子の部屋は、2026年現在、放送47年目、放送回数は11000回以上でギネス記録「同一の司会者による番組の最多放送回数世界記録」に認定されています。
毎回色々なゲストが登場し、黒柳さんとの絶妙なトークが楽しい番組ですね。