父・大塚周夫氏は劇団俳優座養成所を経て、草創期のテレビ業界で『ゲゲゲの鬼太郎』の初代ねずみ男や『チキチキマシン猛レース』のブラック魔王、さらにはチャールズ・ブロンソンの吹き替えなどで圧倒的な存在感を示した巨星でした。家庭内においても徹底してストイックな表現者であり、幼少期の明夫氏にとっては「近寄りがたく、恐ろしい絶対的な父親」として君臨していました。
明夫氏は青年期、父親への反発心から役者とは無縁の道を志し、トレーラー運転手などの職を転々としていました。しかし、20代半ばで人生の転機を迎え、文学座の研究生を経て演劇の世界へ足を踏み入れることになります。大塚明夫氏の著書『声優魂』(星海社新書)の中で、当時の心境は「親父と同じ世界にだけは行きたくなかったはずなのに、気付けば同じ板の上に立っていた」と赤裸々に綴られています。
芸能界入りした後も、周夫氏の所属した青二プロダクションではなく、自らはマウスプロモーション(旧・江崎プロダクション)に所属。父の威光に頼ることなく、自らの肉声一つでオーディションを勝ち抜き、キャリアを切り拓く道を選びました。この距離感こそが、二人が互いをプロの役者として認め合うための不可欠なプロセスでした。