歴史上の偉人の「美男・美女伝説」は、後世の軍記物や江戸時代の講談によって脚色されているケースが珍しくありません。しかし、お市の方に関しては、彼女の最期を間近で目撃した人物の手記に驚くべき客観的記録が残されています。
その決定的な証拠とされるのが、柴田勝家の家臣・浅井五兵衛の妻が残した手記とされる『渓心院文(けいしんいんふみ)』です。天正11年(1583年)、羽柴秀吉軍に包囲された越前・北ノ庄城において、勝家とともに自害する直前のお市の方の様子が克明に綴られています。そこには、死を覚悟したお市の方が城内の人々の前に姿を現した際、「ことのほか美しく、年齢は22〜23歳ほどに見えた」と記されているのです。
お市の方の生年は諸説(天文16年/1547年説など)あるものの、北ノ庄城で自刃した当時は少なくとも34歳から37歳前後であったことが判明しています。当時としては立派な壮年期であり、浅井長政との間に三姉妹(茶々・初・江)を産み、戦乱の逃避行を経験した母親でありながら、10歳以上も若く見える瑞々しさと気品を保ち続けていた事実は、彼女が生来の卓越した美貌の持ち主であった何よりの一次証拠といえます。