立川こしらが落語史にその名を刻んだ最大のトピックが、2011年末から2012年にかけて実施された落語立川流の真打昇進試験です。落語立川流は、創始者・立川談志の「真打とは何か」という問いのもと、極めて厳格かつ独特な昇進基準を設けていました。しかし、2011年11月に家元・談志が逝去。その直後に行われた昇進トライアルは、まさに流派の存亡とアイデンティティを賭けた戦いとなりました。
審査対象となったのは、こしらをはじめとする二ツ目の実力者たちでした。審査員席には立川志の輔、立川談春、立川志らく、立川談四楼といった談志の直弟子である錚々たる幹部が居並び、会場には異様な緊張感が漂っていました。伝統的な古典落語の完成度や品格を求める幹部陣に対し、こしらが披露したのは、古典の筋書きを極限までドライに解体し、現代的なブラックユーモアと即興の毒をまぶした「こしら流の古典」でした。
審査員の間では激しい議論が巻き起こりました。「これは立川流の落語と言えるのか」「談志の教えに背いているのではないか」という否定的な見解と、「誰もやっていない落語を成立させている」「集客力と自立した芸を確立している」という肯定的な評価が真っ向から激突したのです。結果として、こしらは見事に合格を勝ち取り、2012年春に真打へ昇進。志らく門下としても初の真打誕生となりました。
旧来の基準に迎合して合格を狙うのではなく、自らの芸風を審査の場に叩きつけて合格を捥ぎ取ったこの出来事は、落語立川流が談志亡き後も「自力で生き残る野武士の集団」であることを証明する象徴的な事件となりました。