大和朝廷の記録では「凶暴で法に従わない」と一方的に記された蝦夷ですが、彼らが武器を取って立ち上がったのには明確な生存の理由がありました。当時の東北地方は、朝廷にとって喉から手が出るほど欲しい富の宝庫だったからです。
東北の地には、豊かな砂金、良質な鉄鉱石、そして軍事力に直結する名馬や高級毛皮などの特産品が溢れていました。律令国家としての体制を固めた奈良・平安の朝廷は、国威発揚と財源確保のために東北地方への北進政策(植民地化)を本格化させます。朝廷は城柵と呼ばれる軍事拠点を次々と築き、現地の土地を奪い、重税を課そうとしました。
これに対し、先祖代々の豊かな狩猟採集や独自の農耕・交易文化を守ろうとした現地の蝦夷たちが、生活圏と尊厳をかけて防衛戦争を起こしたのは極めて自然な流れでした。単なる反乱ではなく、中央集権による強権的な侵略に対する「土地と自立を守るための自衛戦争」こそが、いわゆる蝦夷征討の実態でした。