池田恒興は天文5年(1536年)、池田恒利の長男として誕生しました。彼の運命を大きく決定づけたのは、母・養徳院が織田信長の乳母を務めたことです。信長とはわずか2歳差であり、物心がつく前から寝食を共にする「乳兄弟」として育ちました。信長が少年時代に「大うつけ」と呼ばれ周囲から孤立していた時期も、最も身近で支え続けた側近の一人でした。
武将としての初陣以降、恒興の経歴は常に織田家の重要局面と重なっています。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いをはじめ、姉川の戦いや長篠の戦いなど、信長が天下布武を掲げて挑んだ主要な合戦にはことごとく参陣しました。元亀元年(1570年)の姉川の戦いでは敵陣深くに切り込んで武名を轟かせ、摂津方面の攻略においては荒木村重の謀叛鎮圧で決定的な役割を果たしています。
単なる幼馴染の枠にとどまらず、最前線で確実に戦果を挙げる屈強な将帥であったからこそ、信長も絶大な軍事指揮権を恒興に託し続けました。武功を重ねた恒興は摂津・兵庫城主などを歴任し、織田家中において誰もが一目置く重鎮へと登り詰めていきます。