1957年、シャンソン「メケ・メケ」を日本語で歌い上げると、「メケメケ旋風」と呼ばれる空前の大ブームが到来。レコードは飛ぶように売れ、美輪明宏は一躍時代の寵児となります。しかし、絶頂の最中に自らが同性愛者であることをカミングアウトすると、当時の保守的な社会とメディアは手のひらを返したように猛烈なバッシングを開始。出演依頼は激減し、観客から心ない罵声を浴びせられる暗黒期へと転落しました。
その極限状態の中で誕生したのが、日本音楽史に燦然と輝く名曲『ヨイトマケの唄』(1965年発表)です。
巡業先の九州の炭鉱町で、泥まみれになりながら働く労働者たちの姿に深く心を打たれた彼女は、「贅沢なシャンソンではなく、額に汗して働く泥臭い民衆のための歌を作らなければならない」と決意。貧しい家庭でいじめられながらも、工事現場で地固め(ヨイトマケ)の重労働をして自分を育ててくれた母への感謝を歌うこの楽曲を、自ら作詞・作曲しました。
当時の歌謡界において、差別用語が含まれているという理由から民放連の要注意歌謡曲(事実上の放送禁止)に指定されるという不遇を味わいながらも、口コミとライブの圧倒的な熱量で民衆の心を揺さぶり続け、昭和から令和へと歌い継がれる不朽の名曲となったのです。