長年の確執が雪解けを迎えたきっかけは、三國連太郎の晩年と病でした。歳を重ねるにつれ、三國連太郎は自らの過去の生き方を省みるようになり、佐藤浩市もまた一人の父親となり、キャリアを積み重ねたことで父の孤独や役者としての凄絶さを理解するようになります。
決定的な和解の真相となったのは、2011年公開の映画『大鹿村騒動記』です。三國連太郎の遺作となったこの作品の現場や晩年の病床で、二人はかつての敵対関係を乗り越え、静かに語り合う時間を持ちました。佐藤浩市は父の衰えゆく体を支え、父もまた息子の成長を心から誇りに思っていたといいます。
2013年4月、三國連太郎は90歳でこの世を去りました。葬儀の際、喪主を務めた佐藤浩市は「最後まで役者として生き抜いた見事な父でした」と涙を滲ませながら語り、金銭的な三國連太郎の遺産ではなく、魂に刻み込まれた「役者としての誇り」を最大の遺産として受け継いだことを示しました。